物置小屋 再建計画

※彷書月刊2010年8月号 掲載

川崎長太郎が長きにわたって起き伏し、その作品を生み出す現場となっていた“物置小屋”の再建計画に携わりはじめてから三年が経った。

言い方は悪いが、所詮、漁具を収納していただけの海辺の掘っ立て小屋のため、似たようなものを再建しようと思えばすぐにでも出来てしまうことだろう。しかし、今回の再建にあたっては、当時の証言や写真などの資料に加え、その作品中に頻出する描写をも参照しながら設計を進めているため、思いもよらず困難を極めている。

小屋は、小田原・相模湾沿いのわずかに高く上がった所に建ち、四周と勾配のついた屋根までも大波のトタン板で囲われ、タールを染みこませた布などで穴をふさいでいる。側面にある板戸を引き開けると、内部は宙吊りの棚のようなもので二層に分けられ、外から続く地面そのままの一階土間には、網やその他の漁具が高く積まれている。入口脇にたてかけられた梯子段を上ると、薄いベニヤ板の床の上に赤茶けた畳が二枚敷かれ、壁のほうには板で仕切られた押入れのようなものが取り付けられ、布団や行李などが中に押しこめられている。むき出しの丸木の構造体には、風景画や、時にはモナリザなどの絵がかけられ、無機質な空間に彩りを与えている。窓は海に向かって大きく開く観音開きのものが一つのみで、屋根や壁の小さな穴から陽の光が差し込んできている。部屋の隅には本が積まれ、二畳敷きの上にはつぶれた座布団と、ビール箱をつなげて細工をした机のようなものが置かれている。上面には原稿用紙、筆記具、煙草、灰皿がわりの茶碗が置かれ、木の板きれに五寸釘をうちつけた燭台に二十匁の太目の蝋燭が立っている。この蝋燭は小屋のなかで唯一の照明装置であり、手元を照らすと同時に、寒い日などはかじかむ手を暖める役割も果たす。

作品中の表現を基に小屋のつくりをまとめると概ねこのようなものになり、やはり再建は簡単に可能であるかのように思われるが、細部にわたって小屋が繰り返し描かれ続ける川崎作品を読み進めていくと、容易に思われていた小屋の建設は、掘り起こされる情報とともに様々な矛盾を孕みながら、深い迷宮の中を彷徨いはじめる。

なかでも小屋の内部での動線である梯子段は、とても深く私たちのことを惑わせてくれる。『忍び草』の序盤では「入るとすぐ頑丈な梯子を登って…」と描かれているが、途中から「梯子段を登って」と描かれるようになる。一見同じようではあるが、梯子と梯子段とでは意味が大きく異なる。梯子ならばその角度は限りなく垂直に近く、上るときも下りるときも梯子のほうを向いて、手足を使うことになる。一方、梯子段はというと、階段以上、梯子以下の角度であり、上るときは段側を向くが、下りるときには段に背を向けることになる。『忍び草』以外の他の作品で表現される際には、ほとんど共通して梯子段となっているが、梯子と表現しても見まごうことのないような代物であったのだろう。『鳥打帽』では「とり外し自在な階段めいたもの」と描かれていることから、何らかの際には梯子のような使い方もしていたのではないかと想像される。

その梯子段の角度やつくりであるが、『抹香町』の中では「梯子段を危なっかしい腰つきで降り」ていることからかなりの急勾配であることが見てとれる。しかし、『路傍』や『乾いた河』の作中で「下駄を突っかけ梯子段を降りていった」ことや「包みをかかえながら降りていった」ことを考えると、馴れや注意の向け方によっては簡単に上り下りできるほどの頑強さと角度で設置されていたのだろうか。

数ある作品の中で最も多くこの梯子段の描写がされているのは『花火』である。比較的長い小説の中で、梯子段は様々に姿を変える。抜き出してみると「頑丈な梯子段に足をかけ、彼の向けるローソクの明りで(飴色のハイヒールを履いた)H子はゆっくり上ってきた」、「手早く原稿用紙を押入れへしまい、梯子段をおりていった」、「手にしたローソクをもち、さっさと梯子段を上った彼は」、「ビニールの包をかかえ、ハイヒールをはいたついでに…ローソクの明りを踏みながらH子は梯子段をおりていった」、「梯子段をせわしく上ってきた」、「梯子段を何度も上りおりし」、「日和下駄突っかけ、飛び立つように梯子段をおりていった」、これだけ種々様々の梯子段に彩られている。ここにおいて梯子段は、ガタピシ音をたてて開閉する板戸にかわって、小屋の内外を隔てる閾となり、また、作中の人物の心情を表現する重要な背景の一つと化している。

登場するたびに姿を変える梯子段と同様のことが、木製の机、太めのローソク、赤茶けた畳、観音開きの窓、海の眺望、風景画、押入、板戸、漁具など、多くの箇所に見られ、途方もない作業量を経なければ物置小屋の姿にはたどり着けそうにない。むしろ、作品を読みこめば読みこむほど、虚実の入り交じった表現にはぐらかされ、物置小屋の実現が遠のいていくような気さえしてくる。

川崎作品における小屋の空間描写と、それにともなう想像力の強さは、建築家の仕事をはるかに超えてしまっている。いつか現実に小屋が再建されたとしたら、それは思考の成果物としてだけではなく、ある種の諦めのようなものさえ入り交じった不思議な空間となることだろう。

 

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